こないだ見た舞台の背景に流れる映像を見てふと考えたことがある
それは映像が持つ「時間」についての話
それについて考えてたのが原因でしばらく舞台への集中が疎かになったのは秘密
まず始めに「雲しかない青空を映した映像」を頭の中にイメージしてもらいたい
例えば一分で雲が画面を横断する空の映像を一時間で雲が横断する速度まで落とす
例えば一時間で雲が画面を横断する空の映像を一日で雲が横断する速度まで落とす
例えば一日で雲が画面を横断する空の映像を一週間で雲が横断する速度まで落とす
例えば一週間で雲が画面を横断する空の映像を一ヶ月で雲が横断する速度まで落とす
限りなく時間の速度を落とすことによって映像が持つ時間を奪い去る
そうすることによって「映像」を限りなく「絵画」に近づけることができるのではないか
ただそれ(時間)は確かにそこ(映像)にあり続けるような そんな「状態」の創出
上記の考えと全く逆の行為を行った人にジュリアン・オピーが挙げられる
肖像画の瞬きが絵画に時間を与え鑑賞者を一種の観測点へ誘う
そんなことを下の作品から感じとることができるのではないだろうか

いつ瞬きをするのか気になってしまいしばらく絵画の前から動けなくなる
そんな硬直状態が「だるまさんが転んだ」をしている状態に似ているようにも感じた
それは同時に映像と絵画の「境界」について考えるということでもある








